京都の歴史真実
2025-11-12 08:22:42

歴史学者・磯田道史が語る京都と本能寺の変の真実

歴史学者・磯田道史が語る京都と本能寺の変の真実



11月12日(水)午後8時から放送される「磯田道史の歴史をゆく 京都の真実2時間SP」では、歴史学者の磯田道史が千年の都、京都の魅力と深い歴史に迫ります。本番組では、戦国時代に活躍した三英傑、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の実像とその背後にあるロマンを解き明かしていきます。特に今回は謎に満ちた「本能寺の変」に焦点を当て、その真相を探ります。

信長と妙覺寺の関係


磯田氏は信長が本能寺ではなく、なぜ妙覺寺を定宿としていたのか、その理由を歴史的な文書から読み解きます。信長の義父である斎藤道三が息子に宛てた遺言状に基づくと、信長と道三との間には特別な関係があったことが伺え、道三の行動が演出者的な一面を持つことも見えてきます。

信長と築城計画の真実


さらに、明智光秀が進言した吉田山への築城計画について、磯田氏は吉田神社の神主の日記を元に解説します。信長が城を持たなかった理由や、豊臣秀吉や柴田勝家の関与についても触れ、普段は立ち入れない禁断の場所に踏み入るその楽しさを語ります。「小学生の頃からの夢だった」と語る磯田氏の表情には、学びの喜びがにじみ出ています。

信長の恋心とは


また、信長の「最後の恋」とも言える女性との関係に絡めて、本能寺の変との関連を探ります。その女性の背後には、信長の運命を変える重要人物が存在していた可能性があるというのです。磯田氏は、四国説との絡みを通じて、信長の歴史的な運命を新たな視点から語ります。

古文書が明かす真実


石川県金沢で見つかった古文書からは、光秀が本能寺の変の現場にいなかった可能性について言及します。これらの記録は、古文書を残した加賀藩の兵学者が記載したものとされ、その情報源の信頼性にも注意が必要です。古文書の存在自体が、歴史に新たな風を吹き込むきっかけとなるでしょう。

城郭考古学者との対談


番組後半では城郭考古学者・千田嘉博氏が参加し、京都の城と三英傑の関係を深く掘り下げます。二条城の天守閣移築などについても考察し、信長の築城の意義や秀吉の城塞化計画なども解説されます。

この番組を通じて、日本の歴史の深淵に触れ、新たな発見に心躍ることでしょう。歴史の「真実」と「ロマン」を楽しみながら、一緒に迫ってみましょう。期待が高まるこの放送を、ぜひお見逃しなく!


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