ウクライナから福山へ避難した母娘の青い言葉
ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから3年が経ちました。2025年1月現在、広島県には38人のウクライナ避難民が住んでいます。その中には、福山市に避難したアンナ・セメネンコさんと彼女の二人の娘も含まれています。彼女は、戦争の恐怖から逃れ、家族を守るために日本に来ました。
アンナさんが住んでいたのは、ウクライナ東部の町ハルキウ。そこには美しさと平穏な生活がありました。しかし、侵攻が始まると、彼女は夫であるアンドリーさんと二人の娘、エヴァちゃんとソフィアちゃんを連れて避難する決断をしました。逃げる理由は、もっぱら子どもたちの安全を守るためでした。
彼女の心の声はシンプルです。「もし子供が怪我をしたり、命を落としたら、私は自分を責めてしまうでしょう。夫は国外に出ることができないので、私は子どもたちを一人で連れて逃げるしかなかったのです。」
福山市での生活
アンナさんは、広島県福山市に到着してから約2年半が経ちました。当初は避難期間が長くても3ヶ月程度だろうと思っていた彼女。しかし、時が経つにつれ、戦争終結の見通しはまったく立たなくなっています。夫とは毎日テレビ電話で話しており、心の交流は途切れませんが、これまでの避難生活は長期化しました。
最近、長女エヴァちゃんは小学校に入学し、日本で過ごす中でも、ウクライナの教育を受けるためにリモート授業を受けています。これは、彼女が故郷の教育を保つための努力の一環です。
生活面では、アンナさんの不安も多いです。日本語の勉強と家庭の育児の両立に挑戦していますが、それでも自分の未来についての計画が少しずつ明確になってきました。彼女は日本語検定を受けるという目標を見出し、努力している最中です。
生活支援金の終焉
福山市では、民間の生活支援金が3年間の期限付きで提供されており、その期限は2025年7月に切れます。アンナさんは、支援が終わった後もこの地で子どもたち、そして自分の生活を守り抜きたいと強く思っています。「この笑顔を守るためにも、戦争が続く限りはウクライナには帰れない」と彼女は語りました。週に2回、福山市内のレストランで働き始めるなど、新しいコミュニティの一員としての生活を築いています。
変わらぬ願い
戦争の影響を受けつつも、アンナさんの願いは変わりません。「私はただ早く戦争が終わって、再び家族全員が一緒になれる日を待っています。」彼女の思いは、この先も多くの人々に共鳴し続けることでしょう。彼女が持つ強さ、希望、そして無償の愛が、今も彼女と娘たちを支えています。
あの日から、彼女の心の奥深くには、一つの願いが刻み込まれています。それは、戦争が終わること、そして再び家族が一緒に過ごせることです。
[取材担当:TSS報道部 石井百恵]